昨日の続き。
次は、初炭の炭点前のあと。
お料理のはじまりを告げられ、この通い口の太鼓襖が閉められました。
そして、この先にある木戸が給仕のために開けられた瞬間に、
薄暗かった内部で、この太鼓襖が行燈のように劇的に浮かび上がりました。
この劇的さは想像以上でした。
実はこの太鼓襖は、当初普通の襖づくりの太鼓襖で打合せを終えていたのですが、
この光の透け具合を求めて、私の一存で奉書紙張に変更してもらいました。
本来の茶室での演出とは異なるのかも知れませんが、
薄暗い空間で始まる茶事においても、
明るすぎず暗すぎず、それでいて手元が少し明るくなって、
折角ご用意いただいたお料理も見えやすくなりました。
いい塩梅の明り採りになったと思います。
中立では、腰掛待合の方から射し込む光が、
思いの他強いことに驚きました。
季節によって、射し込む角度も強さもちがってくるのでしょう。
中立の時間では射し込まない季節があるのかもしれません。
ただこの日は、お隣の屋根に隠れるか隠れないかの光が、
丁度視線の方向から射し込み、特にまぶしく感じられました。
この強さがもう少し強く厳しくなると不快に感じられるので、
なにか対策が必要になるのかもしれません。
季節を通して観察する必要がありそうです。
次が最後です。
最後は、
薄茶のあと、最後の少々の談笑の時間に垣間見えた、
炉の火や飾られた柄杓、蓋置、そして射し込む光と影が物悲しげな雰囲気を醸し出していました。
この少し前、
お薄の点前をしながらご亭主が、
「お茶事も薄茶になると、名残惜しく寂しくなってくる」
…と言うお話をされていました。
そんなお話のあとだったので余計そう感じたのかもしれません。
でも、写真からもそんな雰囲気が感じ取れますよね。
お招きいただき、
とても楽しい時間を過ごさせて戴きました。
本当に有難うございました。
私のような不作法な客では、
役不足だったかもしれませんが、
本番の披露の席のために、
この習礼を幾ばくかでもお役に立てて戴けるものと信じたいです。
感謝。
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