大工さんと話をした。
別に珍しいことではないが、
ちょっと話し込んだので書いておこうかな…。
その大工さん、歳は来年70。
もう引退したいけど、毎朝弁当が出来てるから仕方なしに仕事に行ってる…と照れ隠し。
でも、仕事に対しては自信がみなぎっている数寄屋の大工さん。
こんな仕事が減ってしまって、
たぶんちゃんと修業した数寄屋の大工は、大阪ではわたしを含めて数人。
昔の体質がいいのかどうかわからないが、
古い大工は今の大工に教えないし、今の大工は教わらない。
それは、教わらなくてもできるような仕事ばかりになったから。
でも数寄屋という建物がなくなるわけではないから、
これからどうするんだろう。
私達、現場のものではどうすることもできないので、
何とかして欲しいんだけどなぁ。
やっぱりねぇ。
こんな家があちこちにあったから、我々も数寄屋の大工になったわけで、
今は接する機会もないから、数寄屋がどういうものかも、わからないかもしれないからね。
なんとか、続けていかないとね。
京都ならもっと残ってるんですけどね。
数寄屋というのは、ちょっと違う。
宮大工とも違うし、普通の大工ともちょっと違う。
やっぱり、数寄屋をやってきた人間に染みついた納まりがあるし、技術もある。
それは、教わらないとわからない。
見よう見まねでできる事と出来ないことがあるからね。
ばらしてみると、見えている部分から想像できないような細工がしてあったりもとかね。
あと、普通ならそんな細工はしないところを敢えてやったりね。
だから、教わらないとわからない。
見た目だけ真似ても、違うところがいっぱいある。
これはね、やっぱり知った人じゃないとできないんですよ。
普通の和室の一つでもね。
少しちがう。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、何かが違うの。
少しづつ何かが違うから、全体に少し違った雰囲気になる。
ゼネコンの仕事が多くなると、無理なことを言ってくる。
○○週間で上げてくれ!…とか、□□円で納めて欲しい!…とか。
丸太を光ったり、ほかにも細かい細工があるのにその時間では無理。
出来合いのものを取り付けるような、建売住宅のような建物ではないんだから…。
もう少し、勉強してもらいたいなぁ。
一度でも、我々の仕事を見たことがある人は、少しはわかってくれるけどね。
わかってくれても、無理を言って来るのはかわらない。
でも、やっぱり私は数寄屋が好きだなぁ。
色といい、質感といい、いいなぁ。
ここは特に、松と、良く映えていますよね。
いいなぁ。
まだまだ、こんな仕事で、こんな機会を作ってください。
もう少し頑張りますから…。
…と、たまたまですが、前回の「旅館みたい…」と共通するお話。
我々もこの問題は感じていますが、大工さんはもっと切実なんでしょうね。
我々に何ができるのか、考えます。
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