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金地院

 

この日のメインイベントは野村美術館だけど、

 

ここが道中にあって、前を通るのは織り込み済み。

 

だから、当然寄って行きます。

 

 

確信犯です…。

 

 

ここ…といっても、

目当ては、右側の松の中に立つ看板のところ。

 

 

門の前にはたくさんのアジアの方がおられてけど、

 

入ったのは私だけ。

 

 

門の周りが少し騒がしかったので、

 

ある意味ちょっとほっとする…。

 

 

特別拝観の時間を見ると、

 

あと1時間、

 

野村美術館へ行って帰ってくる時間はないので、

 

先にこちらを見学。

 

お蔭様で時間までゆっくりと一周。

 

 

これが、東照宮。

 

 

これが、方丈。

 

 

方丈の前が鶴亀の庭。

 

 

それでも時間が余ったから、方丈に座って、鶴亀の庭を愛でる。

 

「愛でる」って言葉は使ってみただけで、

 

 

実際は、ぼぅーとして時間をつぶす。

 

 

方丈の中より、鶴亀の庭。

 

 

これが鶴。

 

 

これが亀。

 

 

 

今回は、あまり写真を撮らなかったので、

 

この3枚だけ以前に撮った写真を利用。

 

 

で、お目当ての八窓席は、

 

撮影禁止だから ↓ のパンフレットの写真のみ。

 

 

特別拝観のことは、

 

受付で聞かないと教えてくれないので、

 

外国の方にはわからないかもしれないですね。

 

別料金だし。

 

ということで、特別拝観したのは、

 

私を入れて日本人が4人。

 

 

私の他に、女性の方1名とカップルが1組。

 

アベック…って言いそうになったけど、

 

アベックって死後に近いらしく、

 

若い方はわからないとか。

 

我々世代にとっては不思議な話。

  

 

写真がないから、

 

特別拝観の説明と、私の記憶と感想を混ぜて、言葉で備忘録。

 

 

躙り口は、ぬれ縁から入る。

 

高低差をなくして入りやすく…と言う説明だったように思うけど、本当に入りやすいのか?

 

普通の躙り口の方が入る易くないかな?

 

あの踏み石と床の高さの段差には意外と大きな役割があって、

 

あの高低差のお蔭で躙り口も少し入りやすくなってる気がするんですけどね。

 

待庵ぐらいの高さがあれば別だけど…。

 

ん?、当時の日本人の平均的なサイズなら大丈夫だったのかな?

 

…というような疑問が沸き上がるが、


ここは躙り口からは入れてもらえないので、確認できません。

 

 

書院の建物から3畳分の部屋が続いているので、

 

壁面は1間半ずれていて、ぬれ縁の奥行きは1間程度。

 

その縁先に近いところから入る関係で、躙り口が少し書院の建物側に寄っている。

 

言葉では伝えにくいな…。

 

 

 ↑ の方の、特別拝観の看板に貼ってあった写真のように、

 

畳の縁と躙り口の芯が合っているのが、なんだか新鮮。

 

 

点前座も掛け込み天井。

これは、細かい見方をすれば、間違いという方もいるだろうな。

 

遠州流だからいいのかな?

 

 

入隅から入る事を嫌った…と言われる武家好みの茶室ということらしい。

 


躙り口の上、点前座背面から下座側に大きな連子窓。

 

 

点前座には雲雀棚。

 

 

八窓席と言われるが、六窓しかない。

 

窓が多いことから八窓と読んだ可能性も…と。

 

窓が多いが、庭木が多いせいか、そう明るくもない。

 

 

遠州作だから、おそらく当初は遠州流で使用。

 

貴人口は書院と繋がり、貴人口の襖は、

 

等伯の猿候促月図( ↓ の猿の方 )の襖の6枚のうちの残りの2枚が入っている。

 

 

水屋の間は逆勝手。

 

 

水屋の間の飾り棚及び違い棚は、

 

八窓席の床の間の奥行を18cm小さくすることで生み出している。

 

飾り棚は入隅をヌリマワシにして、さらに幕板で陰影をつけることで奥行を表現。

 

八窓席も水屋の間の昭和までは使っていたが、

 

平成以降は使った記録はない。

 

 

こんなところだったかな?

 

 

 

 

 

ありがとうございました。