燈心亭を見学後、
拝服席が始まったので、まずは拝服席でお呼ばれ。
場所は、 ↓の客殿の中。
この客殿は、秀吉の寄進で、造営奉行が福島正則だったとか。
(これも昔の写真です。)
お呼ばれした後に、時間があったのでちょっと寄り道しましたが、
メインイベントの「お献茶」が始まるということで御本殿へ。
流儀の違うお点前に少々驚き、楽しめました。
でも寒かった。
お献茶の様子は、
やっぱりちょっと気が引けるので、写真は撮りませんでした。
…が、SNSに私の映り込んだ写真が出てたとか…。
まぁ、それはそれ。
その後、暖かい点心を戴きましたが、
結局、冷え切った体の熱を補うのみ。
写真を撮る余裕はないままでした。
ブログ的には、
この辺で息抜きの暖かいお蕎麦の写真があったらよかった…と、
今は思っていますが、その時はね、単純に寒さに震えてたからね…。
その後、妙喜庵へ移動。
移動中の回遊タクシーの中が一番の暖かさ。
数分の移動ですが、ホッと一息つけました。
当然、妙喜庵も撮影禁止なので、写真はなし。
以前は、書院の広縁とかは写真撮れたんだけど、
今はだめになったのかな?
マナーの良くない方が居たのかもしれませんね。
ま、「待庵」のことは、私が書かなくても、いろんな人が書いてますから、
いろんなことを知りたい方は、いろいろ調べてみてください。
でもね、やっぱり、行くたびに感じ方が違うんですよね。
だから、建築って、最終的には理屈よりも感性なんですよね。
どう感じるか。
感じてるときの心持ちや気分、天気、時間などの
あらゆる外的な要素によって、変わるんですよね、受け取り方が…。
とくに茶室は、やっぱり感じないと…って、いつも思ってます。
まずは空間を感じること。
簡単ではないですけどね。
ちょっと話が逸れますが、
若いときから、実測しろって言われてきて、
実測は大切なんだけど、
やっぱりまずは感じることだと思うんですよね。
感じてみないとわからない。
見学に行くと、
時間的にどっちかしかできない場合も多くて、
そんな時に、実測してたか感じられないのね。
感じられないと、実測ってただの数字でしかなくなっちゃうんじゃないかって。
だから、
感じてみて、
時間に合わせて、写真を撮りまくる。
まだ時間があれば、実測する。
または、次の機会があれば実測する。
私にはその方が合ってるような気がするんです。
実測が大事なのは、まぎれのない事実なんですけどね。
わかった上で、書いてます。
お含み下さい。
戻します。
で、この日は、
私には、床がとても明るく見えました。
以前、暗く見えた時には、奥行きが深く感じましたが、
明るく見えたということは、
たぶん、その時の印象よりは浅く感じたんだと思います。
本当に明るく感じたのか、浅く見えたから明るく感じたのかはわかりません。
掛け軸の「妙喜」も心なしか、鮮明に見えた気がします。
陽が顏を出したり引っ込んだりの天気で、
直射日光が少なく、陰影がはっきりしない日だったので、
あらゆるところからの散乱光が床の奥まで届いていたのかもしれませんね。
加えて、いつもはすごく広く見える二畳が、この日はそれほどでもありませんでした。
先に見学している人が、「広い広い…」と連呼していたので、
脳がその「広い広い…」の声に反応してしまい、
感じる前から、過去の記憶よりも過度な広さをイメージしちゃったのかもしれません。
こうなると、見学の順番というか、見学時に周りにいる人も重要ということになりますね。
私が感じようとしているときには、
先の方に、「袖摺りの松」ってどれですか?って聞かれたりして、
なんか、ゆっくり感じることが出来なかったけど。
ま、こんな日もありますよね。
だからといって、外れだったかというと、
なんだかんだで楽しく見学しましたけどね。
この日みたいな環境での空間体験も、それはそれで大事なのかもしれないしね。
妙喜庵は、
待庵の手前(西側)にある書院の広縁 ↓ も、
奥にある書院茶室、8帖の「明月堂」 ↑ も、
雰囲気が大好きなんです。
で、この明月堂で最後に、副席を呼ばれましたが、
「明月堂」の障子を(寒いのに…)開け放って、
縁側にも客が座り、
「待庵」と「袖摺りの松」 ↓ を見ながらのお席で、
(これらも昔の写真です。)
和やかな楽しい雰囲気のお席でしたよ。
ありがとうございました。
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