もう冬だけど、
秋の特別拝観中の大徳寺の塔頭、興臨院を見学。
今回も、特別拝観期間ギリギリでの訪問。
興臨院は、室町後期に能登の畠山家によって建立され、以後畠山家の菩提寺に。
畠山家没落後、前田利家によって本堂の屋根の修復が行われたあと、
前田家の菩提寺になった…と。
能登の武将が建て、没落後、加賀の武将が継いだということか…。
能登と加賀は、近いのは近いが文化が全く違う…と言う話だが、
その辺は大丈夫だったのだろうか…と変に気を回したりもする。
…が、そもそもが所領を与えられてその地に入った方々なので、
地の気質を持っているかどうかも疑わしく、そんなことは関係ないのかな…。
まして、大徳寺……京都での菩提寺の話だし。
大徳寺を南門からまっすぐ進み、突き当りを左。
勅使門の前を通り過ぎると、すぐに興臨院の表門の正面に突き当たる。
そんな感じの位置関係。
勅使門を通り過ぎる際には、
勅使門の向こう側に三門 ↓ が見える。
この写真は、三門の裏側からの写真だから、
この向こうが勅使門。右手に興臨院。
撮ったつもりだったけど、勅使門の写真は撮ってなかったみたい。(-_-;)
ちなみに、この三門に利休の木像を安置し、
その下を秀吉を通らせたことで秀吉の怒りを買い、
それが利休の自刃の理由…というお話。
本当かどうかは不明。
今でもその木像は安置されているとか…。
これも、未確認情報。
興臨院。
表門を入ると正面に唐門。
写真では小さくてわからないかな。
右手の大きな屋根の建物に入る。
で、方丈庭園。
この庭園は、昭和の解体修理時に作庭家中根金作により復元されたもの。
この庭は、昔中国の寒山・捨得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模し、
大石、松をあしらって理想的な蓬莱の世界を表現している…とパンフレットに書いてあった。
一周して、正面に今日の目当てのお茶室が。
縁側を歩きながら、紅葉を愛で、
方丈庭園を臨む南側はさすがに感じなかったが、
上側に廻ると書院というよりは数寄屋風の雰囲気になってくる。
その数寄屋風(?)を堪能…。
最後は渡り廊下を渡って、
「涵虚亭」へ。
織部好みの四畳台目隅板。
お茶室の中は撮影禁止。
水屋から入り、
覗き見た位置の正面が給仕口、左手に茶道口。
給仕口の向こう側、給仕口を入ったところが板貼。
その右側に床の間があって、洞床になってるらしいけど、
中までは見えず…残念。
茶室内は、掛けこみ天井が芽付竹の垂木に、野地は何だったのかな?
小板っぽい板が縦に流してある感じだったけど、
最近、目が弱って来て、はっきり見えない。
写真でも撮ってれば後で拡大して確認できるんだけど、
撮影禁止だからそれもかなわず、わからぬ仕舞い。
その掛けこみ天井には、突き上げ窓付。
平天井は枌板。落天井は菰貼。
名栗の中柱があって、釜蛭釘が付いていた。
貴人口があるからか、結構明るかったです。
結構長い時間、水屋に座って、覗き込んでました。
いよいよ、別の方が入ってこられたので交代。
見る位置が、狭い開口部からだけだったので、
少々不完全燃焼気味ですが、仕方ないですね。
覗き見た感じが予想以上にいい感じだったので、
もう少し、中でゆっくり見たかったなぁ。
渡り廊下を戻り、退散。
帰り際、表門の向こうには、勅使門の屋根が見えました。
さぁ。打ち合わせ向かおう。
ありがとうございました。
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