「試餅」。
聞きなれない言葉。
「こころみのもち」と読みます。
このお菓子に関しては、いろんな方が書いておられるので、
いつものように、ウンチクは他の方に譲って…と思っておりますが、
少しだけご説明。
怒れるかもしれないほどに、
ホントに簡単に簡単に説明すると、
京都に「川端道喜」という創業500年以上…というお菓子屋さんがあって、
裏千家の初釜用主菓子の「はなびら餅(正式名称:御菱葩)」の
年末の試作品…が、それをお分けした人から世間に広がり、
それが数寄者に好まれるようになり、
「夜咄の茶事」、「除夜釜」などの年末茶会用として所望されるようになり、
「試みの餅」として販売するようになったもの…だそうです。
それをこの度、
数百回のリダイヤルの末、手に入れていただいた奇特な方(感謝)がいて、
それならば……と、場所と準備を提供してくださる奇特な方(感謝×感謝)もいて、
そこに呼んで戴けたので、お呼ばれさせて戴きました。
いや、これが、想像以上に美味しかった。
普通に食べるはなびら餅とは味が違うような…。
出来立てのせいでしょうか…。
お茶会は、
煎茶の一煎目から三煎目までの味の変化を勉強させていただくところから始まりましたが、
お呼ばれするだけかと思いきや、
この日の茶会のメンバーで、
ただお声がけいただいたからお呼ばれしただけ…などという甘い話があるはずもなく、
また、単に楽しませて戴いてるだけの状況では、
無茶ぶりをお断りできる理由も術もなく、
人前でお点前するという、
はっきり言って無謀な挑戦権を頂戴致しました。
(写真は敢えて小さめに…)
点前の善し悪しは論ずるまでもないですが、
とはいえ、
和気藹々の雰囲気の中での、
久しぶりのこの微妙な緊張感が、
ちょっとばかり心地よかったりもして…。
で、このお茶会での極めつけは、第九のBGM。
厳粛なお茶を目指しておられる方には怒られるかもしれませんが、
さすがに、
年末気分を最高潮に盛り上げるにはこれ以上のアイテムはなく、
また、この第九が濃茶を前にして偶然クライマックスに…。
続いて静寂のなかでの濃茶。
…と、
狙ってもなかなか出来ないドラマチックな演出となりました。
広間だし、場が和気藹々とした雰囲気なので、
小間の茶事のような張り詰めたような緊張感はありませんし、
時空を超えた神秘的な雰囲気でもありませんが、
我々、末端の庶民が楽しむには、
こういうお茶の楽しみ方も時には必要で、
裾野を広げるきっかけになるのかもしれませんよね……と、
皆で常々話しています。
以前にも書きましたが、
和風とか洋風とかに、明らかな形の違いはあれど、
ちゃんと見極めれば、
どちらがどちらの空間にあっても、おかしなものにはならないと私は思っています。
そりゃあ、
それだけが異質だよっていう頭で、
加えて、そういう目で見ると、
頭の中で異質感を強調してしまい、
必ず異質に感じてしまうものですが、
もう少し寛容な目で見ると、
ちゃんとしたものはちゃんとしたものとして、
他を許容するだけの懐の広さも待ち合わせているものが多く、
ケンカはしない……はずです。
建築の本質は、
建築が出しゃばった自己主張をするのではなく、
使う側を主役として引き立たせること、
…と、どなたかが言っていたと思いますが、
私もその考えをもつものの一人です。
これが、音楽でも同じだということがよくわかりました。
そう、そういう考えで建てられた建築は、
懐がすこぶる深いんです。
第九を年末の風物詩として認識している我々日本人にとって、
年末のお茶会のBGMで第九がかかっていても、
決して、異質に感じるものではありませんでしたよ。
本年もありがとうございました。
今年の投稿は、これで終わるような気がします。
また来年、よろしくお願い申し上げます。
皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。
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