先日の當麻寺から、石州繋がり…という訳ではないが、慈光院へ。
まずは、駐車場の案内に従って、車一台分+αぐらいの、決して広くはない坂道に入る。本当にこの先に駐車場があるのだろうか?という不安に駆られながら、びっくりするような石畳みというか、野面積みの石垣のような床面の坂道を進む。坂を上りきって再び見えた「駐車場」の案内標識に、上って来た坂道が正しかったことがわかりホッとし、ようやく視界が開けて安堵する。たまたまこの日は車だったので、少々緊張感のある導入部となった。
車を止め、門をくぐる。さっきの坂道の大胆さとは大違いの小径が現れる。すでに何となく露地っぽい雰囲気を感じる。
小径を横切る排水口には、


溝に足を落とさないように、太めの竹がはめ込んであった。青竹っていうのがいい。
小径の左右の根切りは結構大胆。ほぼ垂直なので、飼育ケースの土中に根を張った植物を観察しているよう。


「茨木門」が現れる。えっ?茨木?…
リーフレットによると、
『石州の伯父片桐且元が城主であった摂津茨木の城は、石州の出生地でもあるが、後に家康の発した一国一城令により取り壊されてしまう。その中の櫓門を貰い受け移築し、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えて当院の山門とされた。』…と。
そう言えば、茨木に片桐町というのがある。そこに復元された茨木城の櫓門がある。屋根の茅葺と瓦葺の違いはあるが、確かにそっくりな気がする。気がする…というのは、何度か前を通ったことがあるが、ちゃんと観察したこtがたぶんない。写真を探したが、当然見つからず、googlemapでみたら ↓ 。
https://maps.app.goo.gl/8wpQBsjzQWkPLq4B8
やっぱり似ている。
「おにクル」の近くの茨木神社にも茨木城の門が移築されていたよな…たしか。
(茨木神社の東門…搦手(からめて)門。)
いずれにせよ「茨木門」が登場したことで、気持ちの上で「慈光院」がグッと近づく。

門をくぐって進み、玄関を入って受付。
受付を済ませ、案内された方向に進むと、書院へ出て一気に視線が開ける。

まずは、welcomedrink…で、お抹茶を一服。
(一服の料金は拝観料に含まれてます。)
よかったら真ん中の方へ…と勧められたが、一番見渡しが良さそうな端の席を選ぶ。
この庭を含めた広い空間を、壁を背にする位置で独り占め。
ぼぅ~っと数十分…気持ちを解放!
…したつもりだけど、実際はたぶん数分。それも5分以内。
ダメだな、なにもしないことに慣れていない現代病。

お菓子は、片桐家の紋を模った干菓子 ↓ 。

見学に来た私にとって過不足のない、心地よくて、静かで、ゆったりとした時間。
数十分に感じる数分のとても贅沢な時間が流れる。
私が見学している時間を通して、見学の方が他にお二人。
感覚的に、人が少なかったことでそう感じたのかもしれない。
帰りに小径を通った時に、団体の観光客とすれちがったので、タイミングが良かったようです。

お茶を戴いた後、庭に降り、ぼんやりと書院廻りを散策。
茨木門もそうだが、茅葺屋根でずいぶん印象が柔らかくなっている。
書院の陰に高林庵を発見。まずは露地側から見る。


躙り口方向を見る。ちょっと踏み石が低い気がするが、気がするだけかもしれない。
相伴席にも連子窓がある関係か、刀掛けが低い位置にある。
席入りの際は、刀を持って入れないように、躙り口を小さくしてあるので、刀は刀掛けに置いて…という話が一般的。だけど、刀掛けってホントに使われていたのかな?使われていたとしても、どれぐらいの頻度で使われていたのかな?…そんな疑問をずっと持っている。ついでに余計なお世話ですが、武士の魂ともいわれ、肌身離さず…と伝わる刀を、そう簡単に刀掛けに置いて席入りしたのかな?…とか、刀を刀掛けに置いて、側近が見張っていたのかな?そうじゃないと盗まれるんじゃないの?…とか。
武家流では、右に帛紗、左に脇差だった…と聞くので、打刀だけを刀掛けに置いて席入りしたのかな?…とか。
ちょっと調べればわかるのかもしれないが、いつか答えが伝わってくるかもしれない。そもそも、私がやらせていただけるような現代の茶室には全く必要のないものなので、答を急ぐ必要もなく、伝わってくるのを気長に待っている。
↓ つくばい。

再び書院に上がって、高林庵へ。

続きは明日。
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